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身代わり少女二次創作「小説版身代わり少女」
原作者 さかながさかさかな様
著 めろん味のすいか

人は誰もが、生きたいと願う。
正常な生命体は、皆そうだ。
どんなに絶望の淵に居ようと、心のどこかにはその願いがある。
だからこそ、神へ生贄を捧げるのだ。
自分の身代わりにするために。
自分の代わりに、死んでもらうために。
だが、身代わり自身も死にたくないと願っている。

少女が周りを見回すと、辺りは真っ暗な空間で、上からは金色の粉が降り注いでいた。
少女「……? ここ、どこ?」
頭に浮かんだ疑問を、そのまま少女は口に出す。
すると、聞き覚えのない声が少女の疑問に答えてくれた。
???「ここはお前の知らぬ世界。生きる者が訪れぬ場所」
声がした方を少女が見ると、そこに人らしき『モノ』が現れた。
死神さん「私は死神。お前を迎えにきたんだよ」
死神と名乗った『ソレ』は、少女にそう告げた。
少女「え?」
突然のことに、少女は聞き返すしかできない。
だが、困惑する少女の様子をよそに、死神さんは淡々と言った。
死神さん「お前は身代わりにされた。死ぬはずの者から、死を押し付けられたんだ」
少女「……私、死んじゃうの?」
突如として、自分に降りかかった理不尽に、少女は思わず自問するように尋ねていた。
話が荒唐無稽過ぎて、すぐには信じられなかったのもあるだろう。
たとえ信じることができていても、受け入れることなどできなかっただろうが。
死神「……」
しばらくの沈黙の後、死神さんは言った。
死神「お前の魂はとても美しい。純粋で、穢れも無い。今ここで持ち去ってしまうのは、そう、勿体無いほどに」
死神さんが語る言葉の内容は、まだ幼い少女には難し過ぎて、よく理解できない。
だから、頭に疑問符を浮かべながら、黙って聞いているしかない。
死神「神は人へ試練を与え、それを乗り越えた者に褒美を与える。死を司ろうと、私も神。私は、お前に試練を与えよう」
少女「しれん?」
その単語の意味が少女にはわからず、少女は死神さんに聞き返す。
すると、死神さんは少女に言った。
死神「お前に死を押し付けた者は、お前にとても近しい者だ。今からお前の記憶を消そう。だから、死ぬはずだった者を思い出せ。その死を押し付けた者が本来迎えるはずだった寿命は近い。寿命を迎えるまでに思い出せなければお前の魂を持っていく。分かったか?」
有無を言わせぬ口調で、死神さんが少女へと問う。
それに対し、少女は少し考えた後、死神さんに尋ねた。
少女「……ねえ、死神さん。私が思い出したら、その人は死んじゃうの?」
少女の純朴な質問に、死神さんは静かに答えた。
死神さん「生き残りたければその者は諦めるしかない」
少女「……」
二者択一の厳しい選択肢に、幼い少女は沈黙する。
だがそれでも、流れる時間は止まってくれず、現実は待ってくれない。
そもそも、今のこの体験が現実なのかどうかは、甚だ怪しいところではあるが。
死神さん「さあ、お前の記憶を消そう」
死神さんのその言葉と共に、真っ暗だった空間が白い光に包まれ始める。
空間、或いは少女の意識が完全に真っ白に染まった時、死神さんの声が聞こえた。
死神さん「そうだ、名前ぐらいは教えてやろう。お前の名前は、瞳だ」

次に少女、瞳が目覚めた時、そこは見知らぬ家の玄関だった。
いや、見知らぬではないのかもしれない。
瞳「ここ、どこ? ……見たことある気がする」
見覚えがあるかもしれないのに、記憶が不明瞭でよく思い出せないのだ。
瞳「私の家、なのかな?」
頭の中にある数々の疑問を解消するため、とりあえず瞳は家の中を見てみることにした。
瞳「あれ?」
なんとなく玄関の扉に手をかけた瞳は驚いた。
なんと、開かないのだ。
鍵はかかっていないというのに。
瞳「うそ……」
『信じられない』といった面持ちで、一瞬絶望しかけた瞳だが、『家の中を探索すれば何かの糸口になるかもしれない』と、気を持ち直した。
そうして、家の中を丁寧に調べていく瞳だったが、どうやらほとんどの部屋には鍵がかかっているらしかった。
しかし不幸中の幸いと言うべきか、その中でも鍵がかかっていない部屋はあった。
たとえばたった今、瞳が調べているトイレがそうだ。
瞳「やっぱりさすがに、ここには何もないよね」
そう言って、調べ終えた瞳がトイレから出ようとすると、ふと窓の外から視線を感じたような気がした。
慌てて振り返り、窓へと目をやるもそこには誰もいない。
瞳「気のせい……?」
そう思うことにし、怖くなった瞳はさっさとその場を離れることにした。

次に瞳が向かった場所は家の二階だった。
階段を上ってやってきたそこは、時計の音がカチカチと響いていた。
いくつかある部屋の内、鍵がかかっていない一室へと入る。
その部屋の入り口付近の鏡の横にも扉があったが、やはり鍵がかかっている。
瞳「鍵ばっかり」
瞳は思わずうんざりとぼやいた。
当たり前だが、そんなことを言っても事態はまるで好転しない。
と、そこで床に転がっているあるものが、瞳の目を引いた。
瞳「これは……」
そこにあったのは、古びたランドセルだった。
恐らく、誰かのお下がりだろう。
瞳「……」
瞳は少しの間、そのランドセルをじっと見つめていたが、すぐに我に返り、自分のやるべきことを思い出した。
瞳「いけない。ぼーっとしてる場合じゃなかった。もうちょっとこの部屋を調べてみないと」
探索を再開した瞳は、本棚の中に一冊の日記を見つける。
その表紙にはこう記してあった。
『日記:ひとみ』
どうやら自分の日記らしいが……。
瞳「これに何か書いてるかも」
期待に目を輝かせる瞳だったが、すぐにあることに気付く。
瞳「あ、日記にも錠前が掛かってる……」
『またか』と思いつつ、錠前を調べてみる。
瞳「回転させる数字のダイヤル錠だ。……あ、ちがう、数字じゃない。この鍵、数字の代わりにひらがなを合わせるみたい」
そこで、瞳は少し考える。
瞳「このダイヤル錠を正しい言葉にすれば、日記を読めるようになるのかな」
それが、瞳が出した結論だった。
瞳「紙もあるけど、ヒントかな?」
日記と一緒に本棚に挟んであった紙を手に取り、じっと見つめる。
そして……。
瞳「でも、読めない……」
結果がそれだった。
しかしそこで、瞳が何かを発見する。
瞳「あ、そばに鍵が二つもある! 他の扉の鍵かな?」
『これで今まで入れなかった部屋に入れる』と、瞳は意気揚々とした様子で、部屋を後にした。

部屋の外に出ると共に、横手から視線を感じたので、顔を向けると、なんとそこには死神さんが立っていた。
瞳「あ、死神さん」
驚く瞳には構わず、死神さんはぽつりと呟いた。
死神さん「字が読めなければ、試練にもならないな。ふむ……」
ほんの少し、考えるような素振りを見せた後、死神さんは口を開いた。
死神さん「よし、こうしよう。お前が初めに思い出した人間を、その思い出した記憶から影として作り出してやろう。その者はお前を手助けするだろう。字もその者に読んでもらうがいい。ただし、死んでいる人間は駄目だ。もう死んだ人間の影は作れはしない。分かったか?」
死神さんの言うことは、相変わらず瞳には難しかったが、なんとなくどうすればいいのかくらいはわかった。
瞳「うん、思い出せばいいんだよね?」
死神さん「ああ、その通りだ。ではな……」
瞳の返答を聞いた死神さんは、『もうこれ以上は伝えることはない』とでも言わんばかりに、さっさと消え去ってしまった。
空間に溶け込むような、通常ではあり得ないその去り方を見て、瞳は『ああ、やっぱり死神さんは死神さんなんだなあ』と思った。
しかし、不思議と恐怖は感じなかった。

瞳が階段を下り、一階へと戻ってきた直後、玄関に置いてあった観葉植物の鉢が独りでに倒れた。
『一体なぜ?』
瞳は深く考えないようにした。
日記があった部屋で手に入れた鍵を使い、最初に入った場所、そこは一階の最奥に位置する部屋だった。
中に入ると、二階と同じく時計の音が出迎えた。
和風のその部屋は、一見して質素な印象を受ける。
早速、瞳は中のものを調べてみることにした。
まずは一際目を引く、古ぼけた大きな鏡からだ。
そう思った瞳が、鏡面を覗き込むと、そこには真っ赤な手形がいくつも……!
瞳「きゃあっ!?」
驚いた瞳は思わず周りを見回した。
しかし、どこにも何もいない。
鏡に映っていたはずの『モノタチ』の姿はない。
瞳「……あれ?」
気のせいだったのだろうか。
気を取り直して探索を再開する。
そうやって、部屋の中をあらかた調べ終えた後で、まだ押し入れが残っていることに気がついた。
瞳「ここで、最後だね」
言いながら、瞳が押し入れの戸を開けると。
瞳「なんだろう、この箱」
中には箱が一つ、ぽつんと置いてあった。
箱の表面には、紅葉らしき絵が書かれている。
瞳「きゃっ!!!」
と、その時、押し入れに気味の悪いこけしのような『何か』が現れた!
驚いた瞳は、思わず飛び退いた。
すると、押し入れの中から問いかける声がした。
???「なんでこんなところに居るんだい?」
瞳が答えられずにいると、声の主が押し入れから出てきた。
それは先程の、こけしのような『何か』だった。
???「そんなに怖がることないだろう?」
恐怖に身が竦んでいる瞳に、その『何か』は優しく声をかける。
それを聞き、多少は安心したのか、瞳が素直に、或いは反射的に謝罪の言葉を口にする。
瞳「あ、ご、ごめんなさい……」
やはりまだ呆然とはしているが。
そんな瞳の反応を前にしても、『何か』は気にした風もなく言った。
???「いやいや、いいんだよ。この醜さは自分がよーく分かってるさ。体を取られちまってね。痛いわ苦しいわ、散々なんだよ」
瞳「……体を取られたの?」
ようやく完全に我に返った瞳が、心配そうに聞き返す。
???「そうさ。どこぞの誰かさんが、身代わりを成功させちまってね」
『何か』は苦々しげにそんなことを言った。
そうして、『何か』はぴょんぴょんと瞳に近付いてくる。
瞳の目の前までくると、『何か』はこう名乗った。
???「私の名前は御衣黄[ぎょいこう]。この家の、座敷わらしだよ」
瞳「座敷わらしって、お家を幸せにしてくれる人だよね」
そう。
瞳もそれくらいは知っている。
御衣黄「人じゃないけどね、そうだよ。それなのに、この家に不幸をもたらした。あんたたちを守れなかったんで、体を神様に取られちまったんだ」
瞳「私のせい?」
座敷わらし、御衣黄の言葉に、瞳は悲しそうな表情を浮かべる。
しかしそんな彼女に対し、御衣黄はまるで諭すように、優しい声音で言った。
御衣黄「いいや、違う。誰のせいでもないのさ」
そうして背を向けた後、言葉を続ける。
御衣黄「本当は、助けてやりたいんだけどね。この体じゃ辛いんだよ。気をつけな、瞳。この家には試練意外に、あんたの邪魔をする奴が居る。あいつらは、あんたに容赦しないよ」
御衣黄の言葉には、真剣な色が含まれていた。
幼い瞳でも、そうと感じ取れるくらいに。
だから、瞳は御衣黄に尋ねた。
瞳「あいつらって?」
しかし、その疑問に対する御衣黄の返答は。
御衣黄「ごめんね、もう辛いんだ……」
本当に心底辛そうな、そんな掠れ声だった。
苦し紛れにそれだけ伝えると、御衣黄の姿はかき消えてしまった。
瞳「あ……。消えちゃった……」
その様子を瞳は、やはり呆然と見送った。
しばらくして。
瞳「……何か、いるの?」
そう呟いてみたが、当然ながら答える声などない。
狐につままれたような顔をしながらも、箱がずっと気になっていた瞳は、押し入れからそれを取り出してみる。
フタに手をかけると、なんの抵抗もなく、すんなりと開いた。
瞳「開いた!」
中を見てみると。
瞳「……あ、これ」
そこにあったのは。
瞳「おじさんから貰った髪留めだ」
と、いうことだった。
瞳「……んしょ」
早速、髪留めを身に付ける。
瞳「……おじさん?」
すると、今まで忘れていた瞳の記憶のピースさえも、戻ってきた。
瞳「そうだ、伯父さん。私には伯父さんがいる。この部屋に住んでるんだ。伯父さんの名前は、確か……」
そこまで考えた時、瞳は部屋の中に、自分以外の気配がするのに気が付いた。
瞳「……おじさん?」
思わず目を向けたその先には布団が敷かれており、どうやら誰かが眠っているようである。
気になった瞳は、そっと近付いてみることにした。
???「ZZZzzz……」
聞こえてくるのは、安らかな寝息だった。
瞳「……覚えてる」
耳に心地よい、その寝息と同じくらい安らかなその寝顔を見て、瞳は自分の記憶に確信を持った。
瞳「いっつも遊んでくれて、優しくて、大好きな伯父さん……」
少しだが、自然と瞳の表情が綻んだ。
瞳「いつもスーツのまま寝ちゃうの。……善弘[よしひろ]おじさん!」
おじさん「んぁ?」
瞳の呼びかけに、布団の中のおじさんが身じろぎする。
そうして、起き上がった後、側にいた瞳に気付いて、口を開いた。
おじさん「ああ、おはよう瞳ちゃん」
起き抜けのおじさんの、第一声がそれだった。
おじさん「瞳ちゃん?」
しかし、普段と違う瞳の様子に気付くと、おじさんはすぐに表情を引き締めた。
『呑気に目覚めの挨拶など、している場合ではない』と悟ったのだろう。
おじさん「……ああ、そうか。よく一人で頑張ったな、瞳ちゃん。こっからは、おじさんも一緒だからな」
瞳「本当!?」
見る見る内に、瞳が笑顔になっていく。
一目でそのほどが分かるくらいに、瞳は心の中の喜びを顔一杯を使い、表現していた。
喜色満面とはまさしく、この表情のことを言うのだろう。
そんな彼女に、おじさんは充分な頼もしさを感じさせるほど、力強く頷きながら答えてみせた。
おじさん「ああ、おじさんに任せておけ」
そんなおじさんに、瞳も信頼を込め、元気よく返事をした。
瞳「うん!」

二人になった瞳達は、早速おじさんに字を読んで貰うため、二階の日記を見つけた部屋まで戻ってきていた。
目的は勿論、日記と一緒にあった紙の解読だ。
恐らくは、この紙こそが日記のダイヤル錠を解く、なんらかのヒントなのだから。
瞳「おじさん、これ読める?」
紙をおじさんへと差し出しながら、瞳が尋ねる。
おじさん「どれどれ……」
紙を受け取ったおじさんが、文面を読み上げる。
しかし、その内容は一度聞いただけでは何を言っているのか、なんのことなのか、何を意味するのかがさっぱりわからないようなものだった。
これはかなりの難問かに思われたのだが。
瞳「うーん……。あっ、わかった!」
閃いた瞳は、ダイヤル錠を合わせていく。
実は彼女にとっては、この手の謎解きは得意分野だったりする。
すると。
瞳「開いた!」
ダイヤル錠が解除されたので、早速日記を開いてみる。
瞳「あ」
瞳が思わず声を漏らす。
おじさん「中がくり抜かれてるな」
瞳「鍵が入ってる!」
鍵を見つけ、表情を輝かせる瞳に、おじさんが言う。
おじさん「瞳ちゃん、最後の方のページは無事みたいだぞ」
瞳「本当だ」
どうやら彼は、瞳が喜んでいる間に、日記をよく観察していたらしい。
すぐさま日記を手に取り、パラパラとページを捲り、中身を確認していく。
『9がつ14にち(はれ)』
『きょうはみんなであそんだ。みんなおしごととかたいへんで、あそべなかったからとってもたのしかった。あしたもあさっても、もっとあそびたい。でも、わがままわだめだからがまんしよう。またすぐにみんなであそべたらいいな』
『9がつ15にち(くもり)』
『おくすりがなくなってたいへんだった。えきにわすれたんだって。すぐにびょういんにいったからだいじょうぶみたい。くるしそうでかわいそうだった。こんどはおくすりをわすれものしないようにわたしもきおつけてあげるの』
『9がつ16にち(はれ)』
『お とうさんがたいへんなのおわったみたい。しばらくはおちつくっていってた。ほんとうわあそびたいけどつかれてるから、おとうさんをやすませてあげるの。お じさんもつかれてるのにまいにちあそんでくれる。おねえちゃんもおはなししてくれるの。おとうさんもおじさんも、おねえちゃんたちもだいすき。あそべない けど、おかあさんもだいすき』
そこまで読んだ時、おじさんが瞳の頭に手を乗せ、そのまま撫でてくれた。
おじさん「ちゃんと毎日書いてるんだな。偉いぞ、瞳ちゃん」
瞳「えへへ、ありがとう」
褒められた瞳は、照れ臭そうにはにかんだ。
と、そこでふいに、瞳の頭に疑問が浮かぶ。
瞳「……お薬飲んでたのって、誰だろう? なんでお母さんとは遊べないんだっけ」
色々と疑問は尽きなかったが、結局瞳は、わからないことをいつまでも考えていても、時間の無駄だと結論付けることにする。
そのまま彼女はおじさんと共に、部屋を後にした。

次に二人がやってきたのは、二階の最奥に位置する部屋の前だった。
先程手に入れた鍵を使い、扉を開ける。
するとそこには。
瞳「……。おとうさん?」
そう。
なんと瞳の父親がいたのである。
瞳「あ……」
背を向けていたお父さんが、突然瞳の方に向き直った。
お父さん「……」
しかし、お父さんは何も言わずに、本棚の前へと移動する。
おじさん「こっちが見えてねぇみたいだな」
瞳「うん。でも、思い出した」
パソコンが置かれた、仕事用らしき机に向かっていくお父さんの姿を見ながら、瞳は嬉しそうに言う。
瞳「繁お父さんだ。本を書くお仕事してる、とっても優しいお父さん」
しかし、そう口にした後で、瞳は考えるような仕草を見せる。
瞳「でも、お父さんは病気じゃない。だから多分、身代わりにした人じゃない」
そのまま、瞳はお父さんへと近付いていく。
瞳「お父さん……」
と、その時だった。
瞳「え? ポケットから何か落ちたけど……鍵?」
その鍵とお父さんとを交互に見つめる。
瞳「……」
しばらくの沈黙の後。
瞳「ありがとう、お父さん」
ふわりと微笑みながら、瞳はお父さんへの感謝の気持ちを言葉にする。
恐らくは当の本人には聞こえてはいないだろうけど、そんなことは関係がなかった。

またも新しく鍵を手に入れた瞳とおじさんは、一階まで戻ってきていた。
その途中で、何か黒い影のようなモノが、二人の前を横切ったかのように見えたが、気のせいだと思い、深くは考えないことにした。
まるで自分達に合わせるように、歩きながら床を移動しているかのように付着していった、いやに赤い足跡も当然無視する。
でないと、精神的に持たないからだ。
そうして二人は、施錠されている部屋の内の一つ、そのドアの前までやってくると、鍵を開け、そのまま中へと入ることにする。
そこはどうやら、リビングらしかった。
早速、室内を調べてみると、瞳の目にあるものが留まった。
それは、写真立てに納められた、一枚の…。
瞳「写真? 家族写真、かな?」
過ぎ去ってしまった日々のページだった。
瞳「見覚えはあるのに、思い出せない……」
瞳は必死になり、記憶の糸をたぐり寄せようとする。
瞳「………」
すると瞳は、忘れていたはずの記憶が戻ってくるのを感じた…。

リビングでの、家族団欒の食事風景が今、そこには広がっていた。
瞳「おじさん! 私ね、人参さん食べられるようになったよ!」
おじさん「おお、そうか! 瞳ちゃん偉いな!」
瞳のささやかな報告を聞き、おじさんが褒めてくれている。
???「瞳ったら、朝からずーっとそればっかね」
赤いピアスをつけた女性が、呆れた風に言う。
???「聞いてよ善弘おじさん。朝からおじさん帰ってきたら、褒めて貰うんだーってさ」
なんとも子供らしく、また微笑ましいことである。
瞳「い、言っちゃ駄目って約束したのに!!」
ムキになる瞳だった。
???「瞳はおじさん大好きだものね。どうする? お父さん」
髪の長い女性が、お父さんに尋ねる。
お父さん「誰にも瞳はやれないなー」
おじさん「繁、顔が笑ってないから」
妙に険しい表情で答えるお父さんに、おじさんの顔が引きつっていた。
そんな彼らの様子を見て、瞳以外の女性陣は笑っていた。
瞳「??」
瞳ただ一人だけが、訳もわからずに蚊帳の外だった。

瞳「お父さん、それと、おじさんと、私、それから」
家族の団欒に参加していた人物達を列挙していく。
瞳「……えっと」
少し考えて。
瞳「お姉ちゃん?」
答えを思い出した。
そのまま彼女達は、心当たりの場所へと向かった。

その部屋にはいくつかの人形が置いてあった。
瞳「おっきい人形……」
中でも一際目を引くのが、瞳の背丈以上もある、ピンクのクマの人形だった。
瞳「お姉ちゃんは、かわいい物大好きなんだよね」
瞳がそう呟くと、無人だったはずの部屋の中に、圭子姉ちゃんの姿が現れる。
瞳「……ね、お姉ちゃん」
圭子姉ちゃんは部屋のテーブルに着いている。
瞳「お姉ちゃん」
圭子姉ちゃん「………」
話しかけても反応がない。
どうやら彼女にも、瞳達の姿は見えてはいないらしい。
瞳「……やっぱり、気が付かないね」
おじさん「そういう空間なんだろうな」
おじさんも真剣な表情で言う。
瞳「うん。でも、思い出したよ。お仕事いっぱいしてて、それでも私と遊んでくれるお姉ちゃん」
圭子姉ちゃんとの、楽しく温かかった日々に、瞳は思いを馳せていた。
瞳「あ、でも、彼氏が出来ないって……」
一言余計だった。
と、ちょうどその時、圭子姉ちゃんが瞳の方を向いた!
瞳「わっ!」
しかしすぐに、また正面を向く。
瞳「びっくりした……。圭子姉ちゃん、恋人の話すると怒るからなぁ」
『ほっ』と胸を撫で下ろす。
瞳「……圭子姉ちゃんも、すぐに死んじゃうような病気とかしてなかった」
ここで瞳は、もう一度よく考えてみる。
瞳「……じゃあ、私を身代わりにしたのは?」
その人物の正体を。
瞳「鍵……」
答えへと繋がるだろう、導を手にした瞳は。
瞳「行けば、分かるかな」
それが示す先にある、その場所に向かうことにした。

目的の場所の近くまできた時、ふいに瞳は、自分が何かを忘れてしまっているような感覚に囚われた。
それも、とても大切なことを。
この先の『答え』に辿り着く前に、やらなければいけないことを。
だから瞳は、その部屋に入る前に、少しだけ寄り道をすることにした。
まだ、この家には残っているはずだ。
瞳が思い出さなければいけない、記憶の欠片が。
それを探すこそが自分が今、最優先でやるべきことだ。
なんの根拠もありはしないのだが、瞳は自分のこの直感が正しいと確信している。
所謂、第六感的という奴だ。
普通なら、あり得ないと一笑に付すようなことなのかもしれない。
しかし、今この場所でならどんなことでも起こり得る。
だから、何があっても不思議じゃないし、まして驚くには値しない。
そうして、瞳達がやってきたのは台所だった。
入った瞬間、電子レンジと食器棚に挟まれた冷蔵庫が目についた。
どうやらそこに、記憶の手がかりがあるらしい。
早速、その冷蔵庫を調べてみる。
瞳「食べ物が沢山入ってる。それと、お薬」
これといって、目ぼしいものはなさそうだが?
瞳「中身はよく分かんないけど、すごい沢山種類がある」
と、そこで瞳があるものを見つける。
瞳「あ、注射器もある……」
『冷蔵庫の中に注射器がある』というのは、普通の家庭では珍しいと言えるだろう。
瞳「注射するとき痛そうだったな。見た目より針が細くて痛くないって言ってたけど」
注射の痛みを想像したのか、瞳が顔をしかめる。
しかし、ここで重要なのは注射の痛みなどではない。
瞳「………誰が言ってたんだっけ?」
そうなのだ。
瞳にはどうしても、その人物のことが思い出せなかったのである。
そこにこそ、記憶の手がかりがあるはずなのに!
足りないピースを埋めるため、他の有力な手がかりを探しに、ひとまず台所から出ようとする瞳達だったが…。
???「そこから逃げなさい!」
出し抜けに、何者かの大声が響いた!
瞳「え!?」
驚いた瞳は、その場で硬直してしまう!
その時、台所の奥から黒い影のような一つ目の化け物が現れた!
瞳「な、なに……?」
恐怖で身が竦んでいるため、動けない瞳は、化け物から視線を外さないようにするだけで、精一杯だった。
???「逃げなさいって言ってるでしょ! 早く!」
先程の声がまたも、逃げるよう促してくる。
だが、『逃げろ』と言われても、動けないのだから仕方がない。
そのまま瞳がじっとしていると、化け物が徐々に近付いてきた。
おじさん「近づくんじゃねぇ!」
おじさんが瞳を庇おうと前に出るも。
おじさん「!?」
一体何が起きたと言うのか?
おじさんは跡形もなく、消滅してしまった。
瞳「おじさん!!?」
瞳の表情が、恐怖で引きつる。
瞳「ひっ!!」
尚も化け物は、瞳に近付いてこようとしている!
瞳はドアの前まで急いで走るが…。
瞳「あ、開かな……」
結果は絶望だった。
しかし、諦めずに何度もドアを叩いたり、ノブを回したりしていると。
瞳「!!」
見覚えのある、不気味なこけしのような何かが現れ、化け物を足止めしていたかのように見えたのだが…。
瞳「な、なにここ?」
気付けば、迷路のような場所に出ていた。
しかも、耳をつんざくような、不快な声まで聞こえる始末だ。
瞳「なに? この声、耳が、頭が、痛い……!」
と、何かの気配を感じたので、振り向くと、そこには先程の黒い化け物が!
瞳「に、逃げなきゃ!!」
迷路内には、夥しい数の黒い化け物達がいた。
それらの中をかろうじて切り抜けていくと、やがていくつもの別れ道が存在する場所へと出た。
だが、別れた道の一つ一つからは、たくさんの化け物が出現し始めている。
絶体絶命の状況だった。
『もう駄目か』と視線を移した先の道に、しかし思いもかけないものがいた。
瞳「御衣黄さん!」
そう。
そこにはあの座敷わらし、御衣黄がいた。
御衣黄「あれは成仏できない魂の成れの果て。あんたを巻き添えにしようとしている」
混乱している瞳に、御衣黄が説明する。
御衣黄「この扉を出れば、もう大丈夫。死神の力の届くところへ出る。……おじさんも帰ってくるよ」
瞳「あっ……」
伝えるべきことを伝えると、御衣黄は瞳に背を向け、一足先に扉の外へと出ていった。
瞳「ありがとう! 御衣黄さん!」
姿の見えなくなった御衣黄に、しかし感謝の気持ちを言葉にしないではいられない、瞳だった。
そうして、扉を抜けるとその先は。
瞳「あ……。戻ってこれた?」
見慣れた家の中だった。
おじさん「瞳ちゃん!」
聞き慣れた声がしたので、その方向に顔を向けると、おじさんがこちらに向かって、慌てて駆け寄ってくるところだった。
瞳「おじさん?」
おじさん「大丈夫か!? 怪我とかないよな?」
ぼんやりとしている瞳に、おじさんが心配そうに聞いてくる。
その顔は真剣そのものだった。
瞳「良かった、戻ってこれたんだ」
おじさんの姿を見て、瞳はあからさまな安堵の表情を浮かべる。
瞳「大丈夫だよ、おじさん………」
そう答えるも、瞳の意思とは裏腹に、瞼は重くなっていき…。
バタッ。
おじさん「瞳ちゃん!?」
ついには倒れてしまうのだった。

日記があった部屋のベッドに、瞳を寝かせたところで、来客があった。
おじさんは一応、来客の姿を確認するため、ドアの方へと向き直るも、そこにいたのは。
おじさん「……」
死神「お前には、私が何に見える?」
死神だった。
おじさん「……」
おじさんは死神の問いには答えずに、そのまま背を向ける。
構わず、再度死神は問う。
死神「私の姿は、その者にとって一番優しい人間に見える。……なら、お前には何に見えている?」
黙ったままでいるおじさんに対し、死神は雄弁に語る。
死神「お前は私が作り出した影だ。瞳の記憶を使って作ったとしても、お前は人間ではない」
そうしてもう一度だけ、死神は問う。
死神「お前には何が見えている? 私は、何に見えている?」
その問いを前に、おじさんは。
おじさん「ただの死神だ」
素っ気なくたった一言、それだけを答えた。
死神「……そうか」
死神もまた、それだけしか言葉を返さなかった。

瞳「おじさん……」
傍らにはおじさんがいて。
おじさん「!! 瞳ちゃん、起きたか?」
目が覚めた場所は自分の部屋だった。
瞳は起き抜けの頭で、ぼんやりとそんなことを考えていた。
おじさん「大丈夫か?」
おじさんにそう聞かれ。
瞳「うん、平気」
ただの強がり、背伸びの結果だとわかってはいても、立派な返事をすることができた自分を、ほんの少しだけ褒めてあげたくなった瞳だった。
おじさん「きっと疲れたんだろうな。もう少し休むか?」
おじさんは優しく、瞳のことを気遣ってくれる。
その気持ちはありがたいが、瞳にも今やるべきことがなんであるのかくらい、わかっている。
だから、言った。
瞳「ううん、いいよ。時間も無いし」
そんな瞳の気持ちを汲んでくれたのか、おじさんは表情を引き締め、そして頷いた。
おじさん「……そうだな。よし、じゃあ行こうか」
こうして、ベッドから起き上がった瞳は、探索を再開するのだった。

瞳が寝かされていた部屋の上に位置するドアの先、そこはまだ調べていない部屋だった。
早速、瞳達は探索を開始し、程なく一冊のアルバムを見つけた。
パラパラとページを捲ってみる。
瞳「写真、ほとんど真っ黒になってる」
目を凝らしてみるも。
瞳「なんにも見えない」
あからさまに落胆の表情を浮かべる瞳だったが、ふとあることに気がついた。
瞳「何枚か無事みたい……だけど、これって、私だよね?」
そう。
写真に写っていた人物は、紛れもなく瞳だった。
おじさん「ああ、そうだな。どうかしたのか?」
おじさんが聞くと。
瞳「私の写真、全部笑ってないの。なんか寂しそうって言うか、うーん」
瞳は少しの間、一人で考え込み。
瞳「………憎らしそう?」
口にした結論がそれだった。
おじさん「……」
その答えに、おじさんは黙り込む。
その沈黙が意味するところは、当の本人にしかわからないだろう。
瞳「こっちは、お父さんだ」
瞳は、おじさんの様子の変化には気がつくことなく、アルバムの中の写真を見つめている。
瞳「あれ、この写真……」
ふいに瞳が、何かに気がついたようだった。
瞳「病院かな。この人、誰だっけ?」
そこに写っていたのは、病室のベッドの上で、体を半分だけ起こしている、一人の女性だった。
確かに見覚えはあるはずなのに、瞳にはその人物のことがどうしても思い出すことができなかった。

写真の人物が、家族の内の誰かではないかと考えた瞳は、リビングへと戻ってきていた。
念には念をということで、家族写真をもう一度、よく確認するためである。
しかし、家族写真の中にその人物の姿はない。
考え込む瞳の目にふと、すぐ側にあった仏壇が留まる。
気になった瞳は仏壇の前へとやってきた。
瞳「あ、おばあちゃんの写真だ。それと……」
瞳は少し驚いた。
瞳「これ、アルバムの写真の人だ」
そうして瞳の中に少しずつ、その人物との思い出の欠片が戻っていく。
瞳「重い病気で、病院に入院してて。結局ずっと、遊べなかった……」
この次に瞳が呟くだろう一言こそが、最後のピースのはずだ。
瞳「……お母さん?」
それが今、埋まった。
瞳「思い出した、桜お母さんだ。私の、お母さん………?」
そこでまたも、瞳の頭に疑問が生じる。
しかし、その答えが隠されている場所を、既に瞳は知っていた。

そこは薄暗い、まるで倉庫のような部屋だった。
狭い室内だったから少し調べるだけで、すぐに目的のものを見つけることができた。
瞳「これ、私の名前? おじさん、これなんて読むの?」
おじさん「ん? これは……養子、だな」
瞳に聞かれたおじさんは、すぐに答えてくれた。
瞳「ようし……?」
その言葉を聞き、首を捻る瞳だったが、やがて…。
瞳「………そっか。私、貰われっ子だった」
まるで自身に言い聞かせるように、そう呟いた。
だが、その表情に暗い影などなく。
瞳「でも、みんな本当の家族みたいにしてくれてる。ううん、これ言ったら怒られちゃう」
それどころか、むしろ笑顔を浮かべる瞳だった。
瞳「本当の家族だよね。二つ目の、家族」
おじさん「……」
自身の心に染み渡らせるようにして、そんなことを言う瞳を見て、おじさんはどことなく嬉しそうな表情を浮かべていた。
瞳「そっか……あのアルバムの私、ここに来てすぐの私だったんだ」
瞳が納得したように言う。
瞳「……家族の誰かが、私を身代わりにした? 私の、大切な人なの?」
おじさん「………瞳ちゃん、急がないと」
おじさんが、まるで瞳の思考を遮るようにして、そう言った。
瞳「う、うん」
とりあえず頷く瞳だったが、その心には未だ晴れないものが残っていた。
そうして、二人が部屋から出ていこうとすると…。
瞳「……また?」
再びおぞましい声がした。
台所で聞いたものと同じ、あの声だ。
瞳「………遊びたいの?」
しばらくし、瞳はぽつりとそう呟いた。
おじさん「瞳ちゃん?」
怪訝そうに呼びかけるおじさんに。
瞳「おじさん、ちょっと、待っててね」
瞳はただ、それだけ口にした。
だが。
おじさん「いや、一緒に行く」
おじさんは引き下がらなかった。
そして、口元を綻ばせながら言った。
おじさん「瞳ちゃんが何しようと、おじさんは邪魔しないからな」
瞳「ありがとう、おじさん」
あくまで、自分の意思を尊重してくれるおじさんの優しさに、瞳は心の底から感謝する。
そうして、二人は部屋の外へと向かうのだった。

外は見覚えのない部屋に繋がっていた。
瞳「暗い……」
不気味な影「コワイノ、ヒカリ」
闇の中で蠢いている何者かが言う。
そこにいるのは、台所や迷路で瞳に襲いかかってきた、あの影だった。
瞳「どうして?」
不気味な影「奪ワレタカラ」
瞳「誰に? 何を取られたの?」
不気味な影「死神ニ。彼ハ私タチノ魂ヲ持ッテイッタ」
瞳の問いに影が答えていく。
不気味な影「私タチニハ、此処カラ永久ニ出ラレナイ抜ケ殻シカ残ッテイナイ」
影の言うことは、今ひとつ要領を得なかった。
不気味な影「死神ノ試練ニ敗レタ。ダカラ此処ニ居ル。死神ハ光ガ降ル場所カラ来タ」
だから当然、瞳にもその言葉を正しく理解することは不可能だっただろう。
不気味な影「ダカラ、光ガ怖イ。ダカラ……ホ、シ、イ」
影が瞳の方へ、ゆっくりと近付いてくる。
不気味な影「帰リタイ、帰リタイ、家ニ帰リタイ、ダカラ欲シイ」
そうして、影は言ったのだ。
『アタラシイタマシイ』、と。
瞳「……」
瞳は少しの間、黙り込み、やがて再び口を開いた。
瞳「私の魂があれば、助かるの?」
瞳の問いに、影が答える。
不気味な影「………助カラナイヨ。他人ノ魂デ、此処カラ出レナイ」
その言葉は、瞳にはどこか、悲しそうに聞こえた。
不気味な影「デモ欲シイ。無理デモ欲シイ。出レナクテモ、友達増エルカラ」
しかし、どうやら相手はもう手遅れらしい。
不気味な影「遊ボウヨ」
なぜならそこには、禍々しい狂気が確かにあったのだから。
影が瞳の目の前まで近付いてくる…。
女の子の影「アーソーボー」
死の誘いに対し、瞳は。
瞳「………いいよ」
はっきりとそう答えた。
そして、続ける。
瞳「私が、絶対に外に連れて行く。だから外で遊ぼう」
その言葉には迷いがなかった。
女の子「本当?」
だから当然、嘘であるはずがなかったのだ。
瞳「あれ?」
気付けばいつの間にか、女の子はいなくなっていた。
瞳「……あ」
その代わりに、黒い猫の人形が床に落ちていた。
瞳「うん、一緒に行こう」
瞳は人形を拾い上げ、そのまま話しかける。
すると。
黒い人形?「……私タチヲ逃ガシタク無イ影モ居ル。外ニ帰ル場所ノ無イ影ガ、キット襲ッテクル」
なんと人形が喋った。
黒い人形?「気ヲ付ケテ……」
最後に、その一言を人形が言い終えると同時に、瞳達は倉庫へと戻ってきていた。
そうして、記憶の欠片を全てを揃え、忘れていた家族との思い出と絆を取り戻した瞳は、そのまま最後の部屋へと向かう。
ようやくそこを訪れる資格を得た。
一体誰が自分を身代わりにしたのか?
瞳にとっての『答え』が待つその場所へ、今向かおう…。

部屋のすぐ側までやってきた時、急におじさんが足を止めた。
瞳「……おじさん?」
不思議そうな表情を浮かべる瞳に、おじさんは言った。
おじさん「……おじさんが一緒にいけるのは、ここまでみたいだな」
瞳「え?」
途端、瞳の顔に不安の色が広がる。
そんな彼女を、ほんの少しでも安心させようと、或いは元気付けようと、おじさんは優しい声でこう言った。
おじさん「大丈夫だ。俺はただの影だから、瞳ちゃんが戻ってくれば、また会える」
そうして、決意を確かめるように問う。
おじさん「……もう少し、ひとりで頑張れるか?」
瞳「……」
おじさんからの最後の問いに対し、瞳は。
瞳「うん、頑張る!」
力強く、そう答えた。
おじさん「そうか。……待ってるからな」
瞳の返事を聞いたおじさんは、満足そうだった。
瞳「……」
そうして、おじさんがいなくなった後。
瞳「……」
心の準備を終えた瞳は。
瞳「……よしっ」
自分にとっての運命と向き合うために、目の前にあるドアを開けた。
この家の、最後の部屋へと続くドアを…。

そこにいたのは、瞳が見てきたあの死神さんと同じ顔を持つ女性だった。
その人物は、瞳が部屋へと入ってくるなり、言った。
お姉ちゃん「瞳、もうここまで来たのね」
瞳「お姉ちゃん……」
呆然と呟く。
そんな瞳に対し、お姉ちゃんは言う。
お姉ちゃん「どうしてそんなところにいるの? ほら、こっちにいらっしゃい」
その言葉に従い、瞳は数歩、お姉ちゃんの元へと近付く。
瞳「亜八子お姉ちゃんが、私を身代わりにしたの?」
瞳がそう尋ねた瞬間、お姉ちゃんの表情が変わった。
亜八子姉ちゃん「………分かってるなら、話は早いわね」
穏やかな笑顔から、どこか剣呑さを感じさせる無表情へと…。
亜八子姉ちゃん「瞳だって覚えてるでしょ? 母さんが死んだ日、死んだ時」
その目は暗く濁りきり、言葉の端々からは狂気の片鱗が覗いている。
瞳「………うん、覚えてる。忘れられないよ」
その時に感じた気持ちを思い出したのか、瞳の顔に悲しみの色が浮かび始める。
亜八子「死ぬんだって分かった時、母さんのこと思い出したの。ずっと、ずうっと怖かったのよ?」
どうやらあの日、亜八子姉ちゃんが感じた気持ちは『恐怖』だったらしい。
それも、死ぬことに対する純粋で、根源的な…。
亜八子姉ちゃん「瞳なら、分かってくれるよね? お姉ちゃんのこと助けてくれるよね?」
亜八子姉ちゃんの手が、瞳の首へとかかる…。
瞳「あ、ぐ、ぅ……!」
瞳が苦しそうに呻くも…。
亜八子姉ちゃん「瞳、ひとみ、ヒトミ。助けて、助けて………」
亜八子姉ちゃんには、その様子がまるで、目に入っていないかのようだった。
ひたすら、それこそうわ言のように、呟き続けている。
瞳「……ぅ、…っ……!」
瞳の目の前が暗くなっていく。
亜八子姉ちゃん「どうして……?」
遠のく意識の中でも、かろうじて聞こえたのは、亜八子姉ちゃんの戸惑いの声だった。
ふいに、首への圧迫感がなくなる。
瞳「ゲホッ、げほげほっ!」
解放された瞳は、思わず咳き込んでしまう。
亜八子姉ちゃん「どうして抵抗しないのよ! どうして、何にもしないの!!」
瞳が顔を向けると、亜八子姉ちゃんは目尻から涙を流していた。
その目はもう、濁ってなどいなかった。
まるで子供みたいに、目元に大粒の涙を浮かべ、泣いている。
瞳「……だって、だって」
瞳は、未だ途切れようとする意識を、必死で繋ぎ止めながら。
瞳「私、亜八子姉ちゃんに生きてて欲しいから」
偽りのない、自分の願いを口にした。
亜八子姉ちゃん「!?」
妹の真摯な想いを聞いた亜八子姉ちゃんは、思わず愕然としてしまう。
そんな自身の姉に、瞳は言う。
瞳「お母さんが死んだ時、とっても悲しかったから。お母さんがいなくなって、それで」
徐々に意識がはっきりしてきた瞳は、迷いなく自身の本当の気持ちを吐露していく。
瞳「お父さんも、おじさんも、圭子姉ちゃんも、亜八子姉ちゃんも、悲しんでたから」
彼女の意思はこの部屋に入る前から、既に決まっていた。
何も決意だけを用意してきたわけではない。
必要なものはもうひとつあった。
瞳「亜八子姉ちゃんが死んだら、みんな悲しいもん。私も、悲しいから」
そのもうひとつも、覚悟も既に自分の中にある。
だから…。
亜八子姉ちゃん「……馬鹿な子ね」
まだ先があるはずだった言葉の続きは、亜八子姉ちゃんが遮った。
亜八子姉ちゃん「瞳が死んだって、みんな悲しむのよ?」
そう言って、亜八子姉ちゃんが瞳を抱きしめる。
『亜八子姉ちゃんの体温、やっぱり温かいな』と瞳は思った。
だからこそ、亜八子姉ちゃんには生きてて貰いたかった。
自分なんかよりずっと、長生きして欲しかった…。
それが今の瞳の望みだった。
瞳「でも、私……本当の家族じゃないよ?」
それなのに、ここにいていいのだろうか?
居続けていいのだろうか?
心に疑問を抱かずにはいられない瞳に。
亜八子姉ちゃん「本当の家族よ。みんなそう思ってるわ。私も、そう思ってる」
今度は亜八子姉ちゃんが、自分の本当の気持ちを口にした。
亜八子姉ちゃん「瞳……お姉ちゃん、頑張るから」
そう言って、亜八子姉ちゃんが瞳から離れた瞬間、ほんの僅かの間だけ、部屋が白い光に包まれた。
光が去った後、瞳は瞼を擦り、ゆっくり目を開けた。
すると、そこには。
瞳「あ、しに……」
死神さん「今は、何も言うな」
…死神さんが立っていたのだが、言葉を遮られた上に、沈黙を強要させられる瞳だった。
瞳「え?」
瞳が不思議そうな表情を浮かべていると。
亜八子姉ちゃん「……母さん?」
亜八子姉ちゃんが、死神さんのことをそう呼んだ。
そして少しずつ、その側へと近付いていく。
そんな彼女に、死神さんは言った。
死神さん?「あやちゃん、迎えに来たよ」
亜八子姉ちゃん「本当に、母さん?」
『信じられない』と言わんばかりの表情で、ぼんやりと尋ねる。
死神さん?「大丈夫、お母さんも一緒だから。だから、怖くないでしょ?」
まるで小さな子供をあやすような、諭すような口調だった。
亜八子姉ちゃん「うん、うん……。母さんと一緒なら、怖くない」
死神さん?「行こうか、あやちゃん」
そんなやり取りがあった後、死神さんが瞳の方へと顔を向けた。
死神さん「よく頑張ったな、瞳」
瞳「あ……」
死神さんの言葉の直後、周囲が真っ白な光に包まれる。
どこからか、死神さんの声が聞こえてきた。
死神「目覚めの時がきた。……姉の魂は、連れて行くぞ」
瞳「まって! まって、死神さん!!」

次に瞳が目覚めた場所は、家のベッドの上だった。
日記があったあの部屋で、お父さんと共に寝ていたのだ。
机の上には、黒い猫の人形が置かれている。
寝ぼけ眼のまま、瞳はゆっくりと起き上がった。
その時に、どうやら起こしてしまったらしい。
お父さん「瞳?」
お父さんの、自分の名を呼ぶ声を聞き、一気に頭が覚醒する。
そのまま、瞳は部屋を飛び出していった。
…お父さんを無視して、だ。
お父さん「?」
不思議そうに首を捻りながらも、お父さんは慌てて瞳の後を追った。

瞳「お姉ちゃん! あやお姉ちゃん!!」
瞳が呼びかけているのは、別の部屋のベッドの上に横たわっている、一人の女性だった。
お父さん「!!?」
後から部屋へと入ってきたお父さんが、その様子を見て顔色を変える。
(お父さんが救急車を呼んで、でも、結局助からなくて。あや姉ちゃんはそのまま、死んじゃった)

葬儀が終わった後のことである。
瞳「………良かったのかな? これで、本当に」
瞳は自問自答していた。
瞳「代わりになってあげたほうが、良かった? ……分かんない」
そう。
答えなど出るはずもない。
瞳「分かんないよ……」
???「良かったんだ」
出し抜けに聞こえてきた声に、瞳は一瞬驚き、その主がいるだろう方へと向き直った。
瞳「……死神さん?」
そこにいたのは、あの死神さんだった。
いや、より正確には、『何もなかったはずの空間から、いきなり現れた』と言うべきなのだが…。
死神さん「本来は、人に言うべきではないのだがな」
死神さんはそう前置きし、本題を口にした。
死神さん「身代わりを立てたものは必ず、その後の人生が悲惨なものになる」
それは瞳にとっては、初耳だった。
…もっとも、本来言うべきではないことらしいので、当たり前なのだが。
死神さん「新たな病気に掛かり、友に、家族に裏切られる。どんなに仲が良くてもな」
それはとても、残酷なことだと言えるだろう。
死神さん「やがて愛してくれる者も居なくなり、新たな病気を抱えて、一人で生きていく事になる」
それはとても、寂しいことだと言えるだろう。
死神さん「死のうにも死ねはしない。身代わりから奪った寿命の分だけ、きっちり生きることになる」
それはとても、悲しいことだと言えるだろう。
死神さん「あの時、死んでいればよかったと思うほどにな」
それは、一体どれだけの絶望なのだろう?
死神さん「だから人間は、寿命のままに死んだほうがいいんだ」
それは確かに、その通りなのだろう。
死神さん「捻じ曲げて手に入れた命は、あまりにも傷ついてしまっているから」
だったら、この結末は正しいものだったと言えるのではないだろうか?
死神さん「だから、瞳。お前は姉を救ったんだよ」
きっとそういうこと、なのだろう。
瞳「………」
死神さん「………」
沈黙の間、互いに何を考え、思っていたのだろうか?
それは当人達しか知る由のないことだった。
死神さん「それにお前の姉は、どこにもいかないさ」
瞳「え?」
沈黙を破った死神さんの、思いもかけない言葉に、瞳が驚く。
死神さんはそのまま続ける。
死神さん「人生を全うし、死を受け入れた者」
それは紛れもなく姉や母、その他に大勢いる強い人達のことだろう。
死神さん「彼らは人生の中で手に入れた強い思いに従い、形を変えてそれを叶える」
それが願い、或いは望みということなのだろう。
死神さん「亜八子は、ずっと家族と一緒に居たかった。そう、瞳と一緒にも居たかったんだ」
それこそが、死んだ彼女の欲した幸せの形だったのだろう。
死神さん「死の恐怖が、彼女を少し狂わせただけさ」
それがつまるところ、真相だった。
死神さん「彼女はずっと、お前たち家族とともに居る。母親と共にね」
それが、彼女の『今』であり、そして『未来』だった。
瞳「………お姉ちゃんは、幸せ?」
死神さん「ああ、そうさ」
瞳の問いに、死神さんは即答してくれた。
瞳「あのね、死神さん。ひとつだけ、お願いがあるの」
死神さん「なんだ?」
瞳「お姉ちゃんの代わりに、聞いて。お別れ、ちゃんと出来なかったから。私の言葉を、伝えて欲しいの」
死神さん「ああ、いいよ」
少女のささやかな願いを、そしてその気持ちを、死神さんは無下に扱うようなことはせず、むしろ誠意をもって叶えてやることにする。
瞳「ありがとう、死神さん」
感謝の気持ちをそのまま言葉にし、死神さんに礼を言った後、瞳は姉へのメッセージを伝える。
瞳「お姉ちゃん、あのね、あのね」
まずはどうしようか?
瞳「私、お姉ちゃんのことが大好き」
とりあえず、一番伝えたいことを伝えた。
瞳「ずっとお姉ちゃんと一緒に居たかった。ううん。ずっと一緒にいるよ」
当たり前だからこそ、確かなものだと感じたくて、伝えた。
瞳「だから、だから……」
伝えたいことがあり過ぎるから、つい言葉に詰まってしまう。
瞳「ごめんさい」
だけど結局、出た一言がそれだった。
瞳「代わりになれなくて、ごめんなさい」
できることなら、代わってあげたかったから…。
瞳「もっと、もっと生きたかったよね?」
それは、死が目前に迫ってきていた姉にとって、当然の願いだったはずだ。
瞳「苦しかったよね? 辛かったよね? なのに、なのに私、お姉ちゃんを」
後悔は止めどなく溢れるばかり。
瞳「お姉ちゃんを、助けられなかった」
ただ言葉にするだけで、胸の内の悲しみが確実に増す、そんな事実がそこにはあった。
瞳「お姉ちゃんを、お姉ちゃんを……ひっぐ、」
自分の力では変えることが叶わない現実を前に、幼い少女にはただ嗚咽することしかできなかった。
瞳「見殺しに、した」
泣いたところで、自ら背負った十字架が軽くなるわけではないと知っていながら、尚彼女は涙する。
死神さん「………」
目を閉じ、押し黙ったまま、死神さんは少女の懺悔を聞き終えた。
一体今、何を思っているのだろうか?
死神さん?「そんなこと言わないで?」
出し抜けに目を開いた死神さんは、確かにそう言った。
死神さん?「私は大丈夫。瞳のこと、怒ってないから」
言いながら、死神さんは瞳を抱きしめる。
瞳「ひっぐ、ひっぐ……っ! ほん、と?」
死神さん?「瞳に酷いことをしたのは、お姉ちゃんじゃない。だから、謝るのは私の方」
そう言い、死神さんは目尻から一筋の涙を流した。
死神さん?「ごめんね、瞳。お姉ちゃんのこと、嫌いにならないでね」
瞳「なんない……っ! 絶対、なんない、よ」
死神さん?「ありがとう……。瞳は、私の大事な妹だよ」
瞳「ひっぐ、ひっぐ……」
嗚咽は止まらず、優しい言葉は温かさとなって、瞳の心に沁み透っていく。
この感覚を、瞳は既に知っているし、よく覚えている。
なぜならそれは、今自分自身の身で感じている、抱擁の温もりと同質のものだったからだ。
瞳「おねえぢゃん……、ひぐっ、うえぇ……」
死別がもたらす悲しみは深く、その現実は幼い少女には、あまりにも重すぎるものだった。
瞳「おねぇぢゃあぁん……っ!!」
だがそれでも、人は前を向いて歩いていけるはずだ。
なぜなら、それこそが生きていくということなのだから。
生きている限り、少女はその悲しみを、いつかは乗り越えることができるだろう。
それがいつの日になるのかは、少女自身にもわからない。
まさに、神のみぞ知る、だ。

そうして、瞳がその場を去った後のことである。
御衣黄「ありがとうね」
死神さん「……」
残された死神さんに、感謝の言葉を送ったのは座敷わらし、御衣黄だった。
死神さんは、無言でそれを受け取る。
いつの間にか現れていた御衣黄は、あのこけしのような円筒形の体ではない、ちゃんとした体をしていた。
どうやら、本来の体を取り戻すことができたらしい。
御衣黄「ねぇ、どうしてあの子を救おうと?」
そう問うと、死神さんは何も言わないまま、御衣黄に背を向け、その場から歩き出す。
そして、ほんの数歩進んだところで、ふいに足を止めると、やがてゆっくりと静かに語り始めた。
死神さん「娘に似ていたんだ。昔、救ってやれなかった娘に」
そのまま、自虐的に続きの言葉を言い捨てた。
死神さん「死神としては、最低だ」
そんな一言を残し、今度こそ死神さんは歩き去る。
その姿が見えなくなるか否かのタイミングで、御衣黄は呟いた。
御衣黄「そんなこと言わないで。ありがとう、死神さん」
あらん限りの感謝の意をこめ、心の底からの言葉をせめて誠実に。
御衣黄「瞳を、亜八子を、私の子たちを救ってくれて」
届かなくても伝わる想いがあると信じ、せめて言葉にしておくのだ。
そうして、御衣黄もその場から去っていく。
後から、ついてきていた自分の娘と共に。

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